言葉の誤用
今日は言葉の誤用についていろいろ勉強になったことがあった。
たとえば「こだわる」というのは本来マイナスな意味をもつ言葉らしい。
だから「食材にこだわる」といった用法は適切ではないとか。
他にも「姑息」や「逆鱗に触れる」など、実は誤用っていう話聞いたことあるけどどういう意味だっけ?っていう言葉について上記のサイトは丁寧に解説していた。
全部読み切れてないのでまた今度手の空いたときにでも読みたい・
01BFS
疲れた……。今日はこの問題の実装に苦戦していた。
初めての01BFSでただでさえ苦労したというのにpythonの遅さからなかなかTLEがとれなくて大変だった。結局入力の受け取りに
import sys input = sys.stdin.readline
をつかって事なきを得た。
Submission #31828605 - 競プロ典型 90 問
参考にしたサイト↓
典型90問 まとめ 031~040
032 - AtCoder Ekiden(★3)
制約が小さいので順列を全探索してもよいことがわかる。
033 - Not Too Bright(★2)
コーナーケースに注意する。 HかWのうち一方が1のときはが答えとなる。
034 - There are few types of elements(★4)
連続する部分列のうち条件を満たすモノを調べるのでしゃくとり法をつかう。 最初は13行目の
del A[left]
のところを、見ている区間を保持するdequeを使ってpopleftを書いていたのだがこれだとTLEだった。
038 - Large LCM(★3)
三角関数と金融経済
「三角関数よりも金融経済を学ぶべきではないか」
— 藤巻健太 衆議院議員 (@Kenta_Fujimaki) 2022年5月17日
金融教育をテーマに、財務金融委員会で議論させて頂きました。 pic.twitter.com/aUmlrvSaKv
今日はこれについて書こうと思う。
(時事ネタを書くつもりでブログを始めたんじゃないんだけど手頃な話題はやっぱり時事ネタになってしまう。)
この件に関して私が考えたいと思ったポイントは以下の2つである。
- 三角関数は専門的か?
- 高校で習うことは何を基準にして決めれば良いのか?
三角関数は専門的か?
このような主張を藤巻議員がしたのは「高校数学は専門知識の側面が強い」という考えがあるようである。
小学校の算数、中学数学はその概念・考え方を学ぶ上でとても重要だと思います。
— 藤巻健太 衆議院議員 (@Kenta_Fujimaki) 2022年5月18日
しかし高校数学は専門知識の側面が強いのではないでしょうか?
三角関数などは、その道に進む人が大学で学べばいいと考えます。 https://t.co/NyiLBbyEJT
私は大学でも数学を学んでいるので日々三角関数には触れているのだが、確かに大半の大人は三角関数を使う機会なんて滅多にないであろう。そしてそうであれば、大人になってから誰もが必要になるとはずの経済についてもっと勉強した方が良いと考えるのはとても自然な流れである。
私の意見としてはたしかに三角関数は社会に出て必要になることが少ない知識だと思う。そういう意味では専門的かもしれない。でもそれを学ぶことで三角関数を使えば何ができるのかがわかる。これは大いに意味のあることだと思う。たとえ使いこなせなくても習ったという経験だけであとで必要になったときに思い出したり学び直したりすることができる。
またもし三角関数を高校で習わなければ確実に日本の技術力は衰退するだろうとも思う。技術力というのはもとをたどれば綿密な構造設計や泥臭い数値計算だったりする。(たぶん)
高校で習うことは何を基準にして決めれば良いのか?
これはめちゃめちゃ難しい。
「社会に出たときに役に立つこと」と単一で定義すればおそらく三角関数は金融経済に負ける。
もし三角関数の代わりに金融経済を教えている世界線があったら逆に「三角関数が金融経済にとって変わるだァ?ありえないだろ!!」と腹を立てる人が大勢いるに違いないと私は考える。
いくらか考えた結果以下の基準が私は妥当だと思う。
- 思考力を養えること
- 多角的なものの見方ができるようになること
- 社会に出たときに役に立つこと
数学は思考力を養えることに非常にマッチしていると思う。(だから私は高校数学は必要派。)一方でこの観点から見ると金融経済が不必要かというと決してそうではないと思う。三つ目の社会に出たときに役立つことという基準にはぴったりだからである。
まとめ
本当はもっといろいろ書いていたのだが記事としてのまとまりが悪くなったので思い切っていっぱい消した。
結局何を教えるかは取捨選択しないといけないことなので、そんなにムキになってみんなして怒ることないと私は思っている。時代が変われば教える内容も変化していくものであろう。それに金融経済のことをみんなよくわかってないのに比較しようとしていることがそもそも間違っている。高校で体系的に教えられた三角関数がぽっとでの金融経済より価値が高く感じられるのは当たり前のことである。
今回の件は議題としてとても面白いモノだと思う。ただとてもデリケート議題でもある。慎重な議論が必要であることは言うまでもない。私も学校現場で何を教えるべきかをしばらく再考してみようと思う。
4360万
今日はちょっと時事ネタについて書こうと思う。
今話題になっているこのニュース、私はこのニュースに対する世間の反応に正直びっくりしている。びっくりは言い過ぎたかもしれない、違和を感じているっていったほうが適切か。まあどちらにせよ私は世論と少し違った意見を持っていると言うことである。
そもそも「許せない!」「ありえない!」と怒っている人たちはなにに怒っているんだろう。
本来は給付金として生活に困っている人が使うはずだったお金がネットカジノに溶かされたことか?不正に入金されたと知りながら堂々と使い込んだその魂胆か?あるいは一時的にせよ大金をひょんなことから手に入れた男に対する嫉妬心か?
たぶんこのどれもがごちゃまぜになってみんな怒りを感じているんだろうなと私は勝手に想像している。しかしこれは元はといえば男が金を盗んだわけではない、誤って送金してしまった役場の人がいたからこの男は4630万を手にした。男もいうなればトラブルに巻き込まれた被害者なのである。
もちろんそれをいけないことだとわかってて使い込むのは道理に反していると思うけど、発端を作ったのは役場の職員の人だし、手放しに男の人を批判するのはなんとなく私は納得がいかない。かといって役場の人が悪いと思っているのかというとそうでもなく、人間だからミスはあるし仕方のないことだと思う。あとでごめんなさいってすればいいんだよね。
今日はずっとこのニュースについて考えていたけどやっぱりどこか腑に落ちない。もし男に振り込まれたのが4630万円ではなくて2万円だったら?5000円だったら?複数人に大金を誤送金していたら?誤送金したひとの身元がわからなかったら?誤送金したことがすぐには発覚せずに20年後に発覚したとしたら?
いろんなケースを考えてしまう。なにが自分をこんな気持ちにさせるのだろうか。。。
ニュースに対するコメントの中に「もともと自分のお金じゃないんだし使い込むなんてありえない」と批判している人がいたが、これを胸を主張できる人ってどれくらいいるんだろうか。
たとえば「3000万人に誤って1000円が誤送金されてしまいました!こちら側から誰に送金してしまったかを確認するのはできないので気づいた人は自主的に名乗り出て返金してください!もともとそれは飲食店に対する給付金として使おうと思ってたお金なんです!」っていうニュースが出てしまったらどうだろう。
「仮に自分の口座に1000円入金されていてもそれを知っているのは自分だけ。しかも誤送金されてしまったお金の総額は3000億なんだから私が返金したところで雀の涙、悪いけど気づいてないふりしてもらっちゃお♪」
と考える人も多いのではないのだろうか。(多くないだろって言われたら泣いちゃう、俺の世間に対するイメージの悪さが透けて出てしまっていることになるから泣いちゃう)
「人のお金なんだから返す」
これはまっとうで至極正しいことだと思うがそれが誰にも咎められない状況だったら人として弱いところが出てしまうのではないかと私は考える。だから私はそんな理由で男の人を批判なんてできない。
さて、ここまで書いてきてそろそろ眠くなってきたのとキーボードを打つ手が疲れてきたのでまとめに入るとする。
- 私は男の人が全面的に悪いとは思えない。だから許せないなんて感情にもならない。
- とはいえ悪くないというわけではない。良くないことと知りながらお金を使い込んだのは事実。
- 私は世間の男の人に対する風当たりの強さにびっくりしている。
- 私はもう少し世論と意見があるように価値観をチューニングする必要があるのかもしれない。
以上。